おりはら日記


2004年11月の日記


森・林産業活性化推進議員連盟研修会 2004.11.30[Tue]
 今日は、第2回目の森・林産業活性化推進山形市議会議員連盟の研修会に参加しました。第1回目は、7月22日に行なわれ、山形市が所有する森林を川崎町まで出かけ現況を見てきました。

 今回の研修内容は、『村山市森と水の文化館』(真下慶治記念美術館)と『出羽庄内公益の森』の2ケ所です。

 真下慶治記念美術館は、村山市大字大淀の最上川を眼下に望む高台(旧尋常高等小学校跡地)に位置し、なだらかな丘陵と杉林を背景に、景観と一体となった建物として建築され、今年の11月5日にオープンしました。

 建物は、木造平屋建の交流棟とRC造平屋建の展示室棟、地域循環型エネルギーのペレットボイラーを使用するためのボイラー棟の3棟からなり、総工費約2億円(建物・外溝工事)の内、6千万を林野庁から補助を受け建築されたとのことでした。

 洋画家真下慶治画伯(故人)は、本県の母なる河「最上川」をこよなく愛し、生涯のテーマとして、施設の眼下に見えるアトリエで作品製作に取り組まれたとの説明を受けました。

 後から、館長でもある真下夫人の清美氏からいろいろなお話と記念撮影をさせて頂きました。常設展示室には真下画伯の作品が並び、ラウンジからは、四季折々の最上川の景色を楽しめます。

 開館時間は午前9時〜午後5時 休館日は月曜日、月曜日が休日の場合は翌日が休みとなります。入館料は大人200円、小・中学生100円です。是非ご覧いただきたいと思います。

 『出羽庄内公益の森』の研修報告は、明日の日記に廻させて頂きます。 

政信通信作成 2004.11.29[Mon]
今日は、おりはら政信通信第7号の作成に精を出しました。まず、デジカメの整理からです。写真は撮るものの整理をしないままになっていましたので、一苦労です。

 政信通信は、これまで議会が開催された後に、議会の報告も含め発行して来ました。今度は、ホームページの立ち上げに時間が費やされてしまい、作成の時間が中々取れず延び延びとなってしまいました。

 しかし、考えてみれば、ホームページを立ち上げては見たものの、地域の人や支持者の皆さんに、その事実をお知らせしなければ何も成りません。

 お会いする人、お会いする人に、『今度ホームページ開設しましたので見てください。』とPRする毎日ですが・・・・・・・・・・・・・

 また、どうしてもパソコンは苦手でね〜と言われる人もいらっしゃいます。やはり、政信通信とITを両輪にして進めていかなければと実感しています。

 おりはら通信を地域の方々や支持者の皆さんに直接配布することにより、コミニケーションが諮られ貴重な情報やお話を聞く事が出来ます。それが、私の知識と財産になっているのです。

 おりはら政信Webに政信通信が掲載されるまでには、もう少し時間が必要かと思いますが、お楽しみにしてお待ち下さい。

第一総支部大会と街頭募金 2004.11.28[Sun]
 今日は、ウェルサンピア山形で午前10時から公明党山形県本部山形第一総支部大会が開催された。

 この大会は、先の11月7日に開催された県本部大会を受けての開催となり、第一総支部(山形市・上山市・天童市・寒河江市・山辺町・中山町・大江町・河北町・朝日町・西川町)から120名の代議員が集まり、平成17年活動方針及び基本政策、平成16年活動報告が承認された。

 私、折原は副総支部長の大任を拝命しており、那須総支部長と共に大会の成功に向けていろいろと準備を進めてきましたが、各議員及び大会運営委員の皆様や代議員の方々のご協力により大成功で大会を終える事ができました。大変にありがとうございました。

 政治家に一番大切なことは、言葉より『即、行動する』身軽さと実行力だと思います。公明党の不変の行動原理は『現場第一主義』です。『生活者・庶民の目線』で現場に赴きしっかりと現状を把握すると共に、次の手や施策を公明党のネットワークを駆逐して速やかに実行していく事です。

 今、復興が急がれています新潟県中越地震でも党の総力を挙げて現場に入り、被災者の支援に全力を尽くしております。

 公明党山形県本部としても、現地への支援活動の他、被災に遭われた地域の皆様から実情をお聞きすると同時に、山形県の災害対策緊急提言の策定を行っております。又、県内各地で新潟県中越地震の被災者を救う市民の会と連携し公明党議員も一緒に街頭募金活動を展開しております。

 本日も午後から七日町角で市民の会の皆様と一緒に呼びかけと募金活動を行いました。小さい子どもさんからお年寄りの方まで、多くの方々から激励の言葉と共に真心からの募金をお預かりいたしました。大変にありがとうございました。

 同じ日本に住んでいて、中越地方の方々はこの度の被災で、身も心も疲れ切っています。これから冬に向かって益々厳しい生活が続くと思いますが、負けないで頑張って欲しいと思います。

 私たちができる事は小さなことかも知れません。でも、その力が幾重にも拡がれば、被災者の皆様には力強い支援になるはずです。皆さん、がんばりましょう!

晩酌 2004.11.27[Sat]
 皆さん、今日の晩酌はお済みですか。今日の晩酌のツマミはモンテディオ山形の2本のポスト直撃の幻のシュート。朝青龍の優勝決定や魁皇が若の里に勝ったので、明日の朝青龍戦に勝った時は横綱昇進問題はどうなるのかなど話は尽きなかったのではないでしょうか。

 モンテディオ山形、健闘虚しく3年前に川崎に敗れ、J1行きを逃した時と同じ苦い敗戦となってしまいました。しかし、この一年間素晴らしい活躍で県民に楽しみと感動を与えてくれました。本当にご苦労様でした。ありがとうございます。三度目の正直とよく言われますが、来年こそはJ1進出が実現出来るよう頑張ってもらいたいと思います。

 さて、皆さんの晩酌は、酒・ビール・ウィスキー・焼酎・発泡酒・ワイン等のどれをお飲みですか。

 私は、発泡酒を飲んで、時にはお酒・又在るときは焼酎と季節と気分によって、適度な晩酌を楽しんでいます。ところが、ビールでも発泡酒でもない『第3のビール』と呼ばれる低価格のビール風アルコール飲料に対する増税論議が浮上しています。

 ビールは希望小売価格218円うち酒税額77.70円、発泡酒は希望小売価格145円うち酒税額46.98円、その他の酒税(所謂、第3のビールと言われるものでリキュール類を含む)は希望小売価格125円うち酒税額24.20円となっています。

 第3のビールと言われているのは、エンドウ豆を原料にしたサッポロの製品と発泡酒と麦焼酎を混ぜたサントリーの製品です。これらは企業努力と永年の開発研究の結晶として完成された製品であり、ビール・発泡酒と見た目や味わいが似ており、更にこれまで以上のすっきりとした飲み心地と、価格も安価で市民ニーズに的確に応えた製品として、発売以来爆発的な売れ行きを示しています。

 酒税は地方交付税として地方に還元されるとは言え、増税は企業努力の賜を無視する事になり、そして庶民のささやかな楽しみを奪う事になります。ビール・発泡酒と見た目や味が同じだからといって『同種類の商品には同じ課税が原則』として課税強化論を振りかざすのはおかしいと思いますが、皆さんはどう思われますか。

 私達の晩酌の一時が十分に満喫できるよう、皆さんと来年度の税制改革をしっかりと監視していきましょう。

ガンバレ! モンテディオ山形 2004.11.26[Fri]
 サッカーJリーグ2部の12クラブによる4回戦総当りリーグ戦もいよいよ最終節となった。

 我が、モンテディオ山形は現在勝ち点71の第4位。明日の最終戦は、勝ち点73で第3位のアビスパ福岡との対決である。明日、アビスパ福岡に勝てば、勝ち点3点が加算され逆転第3位となる。そうなればJリーグ1部の入れ替え戦に駒を進める事ができる。

 しかし、ここ2戦の戦いは善戦はするものの、ここ一番の執念が足りないのか、勝つぞとの意気込みが逆に硬さに繋がってしまうのか結果が伴わない。

 一年間の戦い43試合分が、明日の一戦で決まる。普段の自分達が目指してきたプレーで、山形県民に希望と感動を与えて欲しい。サポーターの皆さんや県民の熱き声援が必ず『ゴール!ゴールへと』後押ししてくれるだろう。やはり、勝負ごとは勝たなければなにも成りません。この一戦を勝ってJ1への夢が実現できるよう皆で応援しよう! 

 ガンバレ! モンテディオ山形!

法律相談 2004.11.25[Thu]
 公明党県本部では、毎月1回党本部で無料の法律相談を開催しています。

 仙台から小林弁護士をお迎えし、党員・一般市民の皆様の悩みに丁寧にお答えさせていただいております。

 山形市会議員の2名、折原と菊池も当番制で同席させていただき、法的な勉強をさせて頂くと共に行政に関わることについてアドバイスさせていただいております。

 本日は、折原が同席させていただき4名の方々からのご相談に対応させていただきました。ご相談は一応予約制となっておりますので、党本部へ電話にてお申し込みください。

 12月の法律相談は12月22日(水)午後1時からとなっております。お気軽にご利用ください。

 公明党山形県本部 TEL:023−631−5287 住所:山形市あこや町三丁目6番6号

50歳の誕生日の一日 2004.11.24[Wed]
 今日は、私の誕生日です。50歳になりました。朝食の時に、二女から「お父さん、誕生日おめでとう!」と言われ、嬉しさとともに家族の長としての責任を改めて感じました。

 午前中は、山形市立病院済生館高等看護学院の戴帽式に出席し、午後からは、山形警察本部少年課主催の少年非行防止ネットワーク交流会議に参加しました。

 戴帽式は、今年春に高等看護学院に入学した30名が、この8ケ月の実習で看護士という職業に対して適正であると判定され、より一層の自覚を促すため、個々にナースキャップを授与し、ナイチンゲールの灯を灯しながらナイチンゲール誓詞朗誦が行なわれる厳粛な儀式です。

 厚生委員として出席させて頂きましたが、何時までも今日の日を忘れることなく、技術と知識の研鑽に励むとともに病む人の心を思い遣れる看護士になって頂きたいと思います。

 少年非行防止ネットワーク交流会議では、県内8地区で展開された活動事例の紹介の後、質疑応答が行なわれました。

 私は、十中のPTA会長という立場からこの会議に出席させて頂きました。山形警察署管内で我が十中学区が平成13年度からモデル地区として推挙され、今年で4年目を迎えます。

 これまで、南沼原地区青少年育成協議会・十中・南沼原小学校・地区振興協議会等と連携を取りながらいろいろな取り組みを行なってきました。
 意見交換会・街頭補導・有害チラシなどの撤去活動・十中危険マップ2004作成配布・講演会の開催・非行防止教室・朝のあいさつ運動・見守り隊、こどもたん犬隊による広報活動など、地域と学校そして子どもたちと一体となりながら、子どもたちの非行を未然に防ぎ安全を見守る活動を展開してきました。

 最後に、矢矧生活安全部長から、「昔の非常識は、今でも非常識でありたい」との話がありました。私も同感であります。言うべきこと・注意すべきこと・善悪等は曖昧にしないで、はっきりと伝えなければならないと思います。

 その後、党本部で28日に開催される第一総支部大会の準備を行いました。又、市民相談に関連した調査や調整等、忙しい中にも本当に充実した一日でした。

 長い人生の中で、50歳という佳節を迎え、健康に気をつけながら自分に与えられた課題を一つ一つ着実に達成していきたいと思っています。どうぞ今後ともよろしくお願いいたします。

東北人間教育フォーラムin山形 2004.11.23[Tue]
 今日、山形国際ホテルで開催された、東北人間教育フォーラムin山形に参加しました。

 それぞれ、小・中・高・PTA役員の方々から、子どもたちとの拘りの中で、共に悩み・共に学び感じ・挑戦を通して得た麗しい人間関係等の実践報告がありました。

 なかでも、荒れる学級・学校でその原因となる中心人物が、自分の担任するクラスの一人ということで悩み、一対一の対話を通しながらその人の幸せと成長を願い、教師として何ができるのかとの問いかけをしながら教育現場で頑張り続け、5年後の成人式で、その当時迷惑をかけられた中心人物から、大衆の前でお礼を言ってくれた時の感動と教師としての喜びを語られた実践報告を聞き、ハンカチを取り出さずにはいられませんでした。

 記念講演は、馬居政幸静岡大学教授から『社会のための教育から教育のための社会』へという演題でご講演いただきました。

 馬居教授は、山形県の高齢社会の人口形態を示しながら、山形県第5次教育振興計画について言及。素晴らしい計画であるが、それを今後どう実践に移し結びつけていくかが課題であると指摘されました。

 この度発表された三位一体改革の基本的枠組み骨子の中で、義務教育費国庫負担制度については、今後地方に引き継ぐとの方針を打ち出しています。ということは、先生の人件費は県で持ちなさいということであり、山形県はサンサンプランを実施し、教育環境の充実を図ってきましましたが、今後これらの施策を継続するしないかは、地方の考えと財源の措置いかんとなってくるのです。

 今日、頂いた資料の中に下記の言葉がありましたので紹介します。(心をひらく言葉2の中から抜粋)

 教育は教員で決まる。ゆえに『教育の改革』は『教員の革命』から始まる。それが、『人間教育の世紀』を開くのである。
 中国の周恩来総理は言われた。「我々の中に少しでもおごり高ぶったり、自惚れたりするところがあれば、これは絶対にゆるすことはできない」
 全ての指導者の鉄則である。なかんずく教育者は、生徒や学生を、自分より下に見たりすることは断じて許されない。世界中の指導者が、地球上の人間を、同じ人間として対等に、分け隔てなく大事にしていく。世界中の指導者が、すべての青年を心から励ましていく。そうなった時に初めて「地球民主主義」が、生き生きと、光彩を放つのである。

 教育を実現していくには、教育法や教育学の改革はもとより、教育者自身の人間革命がなければならない。子どもたちにとって、最大の教育環境は教師自身である。それゆえに、教師自身がたゆまず自己を教育していくことが不可欠となる。

 学校・家庭・地域の連携は、これまで教育関係で開催される会合の中で、何度となく語られてきました。その先を如何つなげていくのか、このことが重要な問題であり課題であります。

 最後はやはり勇気と愛情を持ち、大人の私たち一人一人が将来を担う子どもたちと対等に接し語り合うことが必要なのだと思いました。

 今回のフォーラムに参加させて頂き、教育の重要性を改めて認識すると共に、開催にあたりいろいと準備をして頂きました実行委員会の皆様方に対し心から感謝申し上げます。大変にありがとうございました。

県知事選挙 2004.11.22[Mon]
 来年1月23日に実施の県知事選挙に、現高橋知事の外に、新たに立候補をすると決意表明した人が現れ、無風状態の選挙選が一転して混乱の様相であると新聞・テレビニュース等で大々的に報道された。

 立候補を決意したのは、山形銀行監査部副部長の斎藤弘氏(47歳)。この他に、共産党も候補擁立に向け動きを活発化しているとの事。

 高橋知事からは既に公明党に対して推薦依頼が出され、県本部幹事会等でどのように対応をすべきか話し合いが進められているところである。

 高橋知事の3期12年における教育や福祉等への実績は評価できるものの、74歳という高齢に伴う健康不安や4期目への挑戦ということで多選批判は免れない。又、最近の農薬残留問題におけるコメントや対応の遅れなどについて、農家の方々からの批判は厳しいものがあります。

 先の公明党山形県本部大会にも高橋知事から来賓としてご出席いただき、ご挨拶をいただきました。又、寒河江県本部代表も4期目の出馬表明に対してエールを送らせていただいたところです。

 斎藤氏はインタビューで、各党への推薦依頼はせず県民党という立場で、住んでよし、訪れてよしの山形県を作って行きたい。そのためにいろんなアイデアを出していきたいと抱負を述べていました。

 党としての方針は、今後どうなるか判りませんが、新しい息吹に期待を寄せる県民は少なくないと思います。今後の斎藤氏の具体的な政策に注目していきたいと思います。

大相撲中日 2004.11.21[Sun]
 11月14日から開催された大相撲九州場所も中日を迎えた。

 過日の九州視察研修のおり、タクシーで福岡国際センター前を通りかかった。会場の敷地内に、色取り取りに書かれた関取の名前入り旗が掲げられ開催前の雰囲気を盛り上げていました。

 そして、タクシーの運転手は地元福岡出身で大関の魁皇が、横綱取りに望む今場所に期待を寄せつつ、これまでの魁皇は、横綱取りの場所は全て8勝止まりであると結果を嘆きながら、初日が大切と解説していたことを思い出します。

 やはり、初日は固くなってしまったのか魁皇は琴光喜に簡単に負けてしまいました。そのままズルズルと連敗してしまうのが魁皇ですが、今場所は何とか持ち直して7勝1敗で中日を終えました。いよいよ後半戦、最後まで自分の力を信じて普段の相撲を取ってもらいたいと思います。横綱目指して、ガンバレ魁皇!

 平成の怪物、大関武双山の引退。大関栃東の休場そして大関陥落。大関千代大海の不振と全体的に寂しい前半戦になってしまいました。

 技と気力と体力が勝負の世界。そういった大相撲に新風が巻き起こっています。幕内力士42名中、横綱朝青龍を筆頭に旭鷲山、旭天鵬、朝赤龍、白鵬、黒海、露鵬、琴欧州、安馬、時天空、春日王の外人国籍11人の力士が活躍しているのです。国技とされる大相撲、日本国籍のもっともっと若い世代の台頭を願わずには入られない。

 そんな中で、我が郷土の誇り、『琴ノ若』が頑張っている。幕内最高年齢である36歳。中日を終えて6勝2敗と大健闘である。私生活で子どもが誕生とのことで、後半もいい相撲で勝ち星を上げていって欲しいと思います。

 琴ノ若が勝つと、あるスーパーで花火を3発打ち上げるのは有名な話です。夏は音だけの花火ですが、今場所は早く暗くなるため色付きの花火が打ち上げられているとか。毎日、花火が上がるといいなあ〜

 私は、相撲が小さい頃から取るのも見るのも両方大好きでした。私の世代は柏戸と大鵬が凄い人気で、その当時はテレビを持っている家も少なく、テレビのあるお宅にお邪魔して皆で観戦し応援したことを覚えています。又、小学校の相撲大会で5人抜きをした事もあります。

 青森出身の高見盛の頑張りも大好きです。後半も、各力士がケガをしないでいい相撲を取って欲しいと願います。 

新紙幣 2004.11.20[Sat]
 11月1日から新しい紙幣が登場した。デザインの一新は20年振りで、日本銀行発行の紙幣として初めて女性が登場するなど話題は尽きない。

 今月から登場した新しい紙幣は、一万円札が福沢諭吉(旧札と人物は同じであるがデザイン変更)・五千円札は樋口一葉(旧札は新渡戸稲造)・千円札は野口英世(旧札は夏目漱石)と、それぞれの時代で日本のリーダー的役割を担い、世間的にも多大な貢献をした歴史的に有名な方々です。

 何故、紙幣を変えるのかというと、一番の目的は偽札作りの防止のためであるとか。そして、今回の改刷では、最新の技術を使った偽札防止策を施したといわれています。

 @斜めに角度を変えてお札を見ると、色や模様が違って見える「ホログラム」の導入A傾けると文字や数字が透けて見える「潜像模様」など既に新二千円札に導入。この他にもコピーでは再現できない数多くの最新技術が取り入れられているそうです。

 11月当初、新札の珍しい番号はプレミアが付く等とテレビ番組でも取り上げていましたが、私は何時かは新しいお札と巡り合うであろうと金融機関に並ぶ事も無く半月を過ぎました。

 たまたま、キャッシュカードでお金を引き落としたところ。新札の一万円札3枚がATMからでてきました。感動しながら番号を見ましたがプレミアが付くような数字でもなくそのまま財布にしまいました。

 一旦、財布に新札が入ってみると、旧札と若干大きさも違い、新札ばかりにしたくなり新札に揃えました。ところが、ある公共施設の中で食事をしようと食券販売機に新札を挿入しましたが、直ぐ挿入口から新札が戻ってきます。何度も裏表を反対にしたり折り目を付けたりしながら挿入してみました。販売機の廻りには何の注意書きもありません。仕方なくウエイトレスの人に状況を話したところ、当店はまだ新札は使用できませんので、隣の売店で両替してきてくださいとのこと。仕方なく売店にいき新札を旧札に変えてもらい食事に在りつきました。

 遅かれ早かれ、これらの機械が新札対応に変更になっていくとは思いますが、現時点で注意書きもなく又自分の所で両替できるよう準備もしていない点にがっかりさせられました。チョッとした気配りだと思いますが、当市の公共施設の状況を把握しておりませんので、早急にチェックしたいと思います。

公明党結党40周年 2004.11.19[Fri]
 去る11月17日、公明党は結党40周年を迎えた。

 公明党の立党精神は、『大衆とともに語り、大衆とともに戦い、大衆の中に死んでいく』であります。結成大会に掲げられた『日本の柱公明党』『大衆福祉の公明党』のスローガンは、大衆の声を結集し、それを軸に日本の政治を再構築するという決意の現われであり、先進国のなかで遅れが目立つ福祉制度の拡充に挑戦するという宣言であったと聞いております。

 しかし、その当時福祉について語る政党はありませんでした。生活重視の視点で生活者の目線に立った政策を打ち出しながら、一つ一つ確実に実績を積み上げてきたのは公明党だけであります。

 教科書無償配布の実施・イタイイタイ病を我が国の公害病第一号に認定・永年勤続国会議員の特権廃止・不況の中資金繰りに苦慮する中小企業の方々の救済システムとしての資金繰り円滑化借換保証制度の実施・児童手当や待機児童ゼロ作戦に代表される少子化対策や子育て支援・奨学金制度の拡充・年金改革・ムダ削減・女性専門外来の拡充など、暮らしに根ざした数多くの実績はすばらしいものがあると思います。

 これも偏に、議員・党員・支持者が一体となって地域のために奮闘活動する中で、率直な疑問や要望を現場第一主義に徹し、調査なくして発言なしの実践のもと政策提言を行っているからであります。このネットワークこそが政策実現政党、公明党の力の源泉であります。

 私も、立党精神を肝に銘じ、おりはらのモットーである『誠実に!真剣に!情熱を持って!』皆様の声をしっかりと市政に反映してまいります。

 どうぞお気軽に、ご相談・ご要望・ご意見等お寄せください。

大詰めの市町村合併 2004.11.18[Thu]
 二市二町による合併問題もいよいよ大詰めとなった。明日、山形市議会の合併検討幹事会に、各会派毎の合併に対する最後の考え方が示される。

 我が『緑政・公明クラブ』11名は、15日に会派総会を開催し、「県都、山形市として合併を実現させることが大切であるとし、議員定数以外の全ての諸問題で合意した場合は、現在の各市町村の報酬をそのままとする一市三制度での92名の在任特例でも合併すべきである」との意見で一致した。但し、各会派持ち寄りの意見で47名の定数特例が多数を占める場合は、山形市議会の混乱をきたす事のないよう確認した。

 ふれあいQ&Aにも記載したが、いろんな諸問題があるにしろ合併はすべきであると今でも考えています。1年数ヶ月92名であったとしても、その後の議員定数や職員数は大幅に激減されます。また、三位一体改革の中で特例債について不透明感はあるものの、広域で利用する新清掃工場・二署体制における西消防署等には必要な財源となる。

 二市二町のそれぞれの特徴を活かし、新たな山形市を創ることは今後の地方分権を推進していくうえで大切なことではないかと思う。今年は各地区で合併50周年の記念事業が相次いだ。その時も様々な問題や意見のすれ違いはあったと思う。目先の事ばかりに固守することなく、大計にたった合併を論じて行くべきである。

 しかし、議会内の現状は合併に対する意見は総論賛成、各論反対の方が多いようだ。昨日も山辺町議の二人が自宅に見え、いろいろと話し合いをさせて頂いたが、遅きに失した感がある。今後、どのように収束して行く事が禍根を残さないかである。これもまた難しい選択である。

新潟中越地震被災者を救援するための募金活動 2004.11.17[Wed]
 公明党は、県内各地で新潟県中越地震で被災に遭われた方々に少しでもお役に立てればということで募金活動を展開しております。

 来る、21日から22日にかけて寒河江県代表・那須幹事長・安部女性局長・菊池青年局長・志田事務長の5名で新潟県中越地震の被災地に赴き、これまで皆様からお寄せいただいた善意の募金をお渡しし、被災者支援のボランティア活動を行なってくる予定になっております。折原は他に所用があり、参加できず誠に残念に思います。

 なお、山形市でも青年局・女性局の有志の皆様にお手伝いをいただきながら第2回目の募金活動を行います。日時は11月28日(日)午後2時から午後3時ごろまで七日町一丁目地内(旧みずほ銀行山形支店前)にて行ないます。

 私、折原も皆様にご協力の呼びかけをさせて頂きます。新潟県も山形と同様に雪国です。もう直ぐ降雪の季節となり、仮設住宅の確保やライフラインの復旧に向け最大限の努力をしているところです。雨などによる土砂崩れの第2次災害3次災害が続いており、被害総額は3兆円とも言われております。

 物資も必要ですが、いろんな事に活用できる『被災地への真心の励ましの義援金』が今一番とか。皆様の温かいご協力よろしくお願いいたします。

先輩 2004.11.16[Tue]
 今日は、山商の先輩であるH氏と懇談をする機会を得ました。H氏は山商バスケットボール部の二年先輩。全体の練習終了後にシュート練習をする時ボール拾いをさせて頂いた憧れの人です。

 これまで、山形市役所に勤めていた時、昼時間に近くの食事処でお会いしましたが挨拶する程度でゆっくりと話をするということはありませんでした。

 お酒を飲みながら、昔の思い出話から子どものこと、趣味の話、合併問題について、県知事選挙など話は尽きませんでしたが、次の再会を約束してわかれました。本当に楽しい一時ありがとうございました。感謝!感謝! 

親子 2004.11.15[Mon]
 今日、東京から兄が久しぶりに帰郷した。私が昨年の春に市議会議員選挙に立候補した時、応援に駆けつけてくれたとき以来である。

 私は三人兄弟の末っ子である。その末っ子が何故家を継ぐことになったか。当時、沼木の自宅には母と姉の二人で生活をしていました。その姉が嫁ぐ事になりました。その時、私は母に「これから一人暮らしでいるより山形から東京に出てこないか」と話をしました。母は『住み慣れた山形がいい。父が眠るそばで暮らしたい』ということで、兄か私が家に戻ることになりました。しかしその時、兄は既に東京町田で美容室を開いており、自由になるのはまだ24歳と若かった私が、家を継ぐ形で東京から山形に戻ってきたのです。

 継ぐといっても、私の家は農家でもなければ、店を経営している訳でもありません。又、土地や財産がある訳でもありません。母と一緒に生活していく事です。父は私が19歳の時54歳で亡くなりました。母が51歳の時でした。それから30年、母も年を取り腰は曲がってきましたが、元気に借りた畑で野菜作りに精を出しています。

 兄も、時々故郷山形が恋しくなるのか。母に会いたくなるのか。車を飛ばして帰ってきます。

 そんな事から、母と兄弟三人で黒沢温泉に宿を取り、食事と昔話に花を咲かせました。母のにこやかな笑顔を見ながら、元気でもっともっと長生きして欲しいと願う兄弟。又、親子はよく似るとはいうものの同じ病?を煩っている様子。健康にはお互いに気をつけていきたいと思います。 

南沼原地区文化祭 2004.11.14[Sun]
 昨日から開催された、南沼原地区の文化祭が閉会した。

 今日は、開会セレモニーを始めとして、公民館入り口に二本の柏の木の記念植樹も行なわれました。そして公民館の全館と敷地内を活用して、この一年間サークル活動で研鑽したそれぞれの課題・演目の発表や作品展示等がありました。どれも素晴らしい出来栄えであったと思います。私は、ひょうたんに漆を施した作品を一つ購入させて頂きました。

 その他、特定非営利活動法人「地音」理事長山崎多代里氏による、記念講演「地域循環社会を目指して〜私たちにできる小さい事から〜」、食生活改善推進協議会による「生活習慣予防の基本献立展示・黒豆ご飯の試食コーナー」、地区婦人会・農協女性部による「農産物の直売・軽食コーナー・売店」、体育振興会による「模擬店(焼き鳥)」、あんこ・納豆もちの無料配食など、数多くの諸行事が展開され、各サークルの皆様と地区民そして実行委員会とが一体となった本当に内容の濃い文化祭であったと思います。

 開催にあたり、ご協力頂きました関係各位に感謝申しあげますと共に、この文化祭を通して地域の活性化と団結が強化され、更なる地域発展のためお互いに協力しながら頑張っていければいいなあと思いました。

 一つのものを作り上げる事は容易な事ではありません。しかし、一つのものを解体したり消滅させることは簡単なことです。これらを証して『建設は死闘!破壊は一瞬!』と言われます。皆さんが山形に生まれて良かった、住んで良かった、安心して暮らせる街でよかったと思われる都市づくりを目指して、皆様のご意見を伺いながらコツコツと一歩一歩実現に向けて活動を展開してまいります

南沼原地区文化祭 2004.11.13[Sat]
 今日から明日に亘って、山形市合併50周年記念第31回南沼原地区文化祭並びに植樹祭が開催される。

 午前中は、会場づくりと展示品の飾り付けをそれぞれのサークル担当ごとに準備を行なった。私も十中PTAとして、お二人の先生方と子どもたちの作品展示を行ないました。

 午後からは、上山市文化財保護審議会副会長・片桐繁雄氏から『義姫と南沼原』という題でご講演をいただきました。片桐先生は、私の直接の担任ではありませんが三中で国語を教えていただいたことを覚えております。

 義姫は、山形城主の最上義守の娘として生まれ、最上義光の妹で後に伊達輝宗の妻になり、伊達政宗の母となります。後に、兄(義光)と子(政宗)が上山:中山の境で交戦の危機に陥った時に、戦場に乗り込み小屋を建て80日にわたり「座り込み」を続けて両軍を引かせた人であるとの事。当時においては真に珍しく、強い意志を持って行動をした女性であったそうです。

 反面、義姫は政宗の毒殺を計ったり、冷酷かつ不届きな悪い女性であるとの噂を意図的に作られたとのこと。しかし、世に知られたそれらの話は、政宗の手紙や、最近明らかになった史料により、事実が完全に否定された形となった。

 410年前の文禄3年(1594)11月27日に義姫は山形に戻り、義光の保護のもとで、南館や村木沢で約28年間の生活を送りました。その後、上杉の大軍が最上に侵攻した長谷堂合戦で、須川が山形城を守る最後の防御ラインとして、須川東岸の段丘上に、防備軍を配置し交戦を続ける時、義姫は山形城内から政宗援軍との大きな架け橋となり、最上家の危機を救った旨のお話をしていただきました。

 義姫の深い兄弟愛と親子の絆。誰が何と言おうとも、信念と誠を尽くしていれば必ず真実は明らかになる。今日の講演は、恥ずかしいことですがこれらの史実を全然知りませんでしたので、大変興味深くお話をお聞きしました。また、南(南館)沼(沼木)原(吉原)からなる南沼原の歴史と原点を知る思いがいたしました。今後とも地域発展の原動力として頑張ってまいりますのでよろしくお願いいたします。

宣伝 2004.11.12[Fri]
 ホームページを立ち上げ、約3週間になろうとしています。

 「おりはら日記」は、毎日更新を目標に書き込みを続けています。しかし、「ふれあいQ&A」は、皆様からの問い合わせは殆ど無い状態であるため一件の書き込みだけです。どうぞ、どんな小さな疑問でも結構ですので、どしどしご意見・ご要望・ご質問等お寄せ下さい。

 HPを開設した大きな目的は、折原と市民の皆様との情報共有の場を作りたかったからです。

 まだまだ、宣伝不足という点もございますが、ヤフーにも三日前に登録完了となり、『折原政信』で検索していただければホームページの案内が表示されるようになりました。

 是非、ご覧いただいている皆様から友人・知人の皆様にご紹介いただき、情報共有の輪が広がって行きますようよろしくお願いいたします。

旅で知った偉大な先人 2004.11.11[Thu]
 9日の視察研修で熊本から福岡へ移動する列車の中で、JR九州発行の旅のライブ情報誌「プリーズ11月号」を何となく開いてみた。

 そこに、「九州ものしり学」『通潤橋物語』として肥後細川藩の矢部郷(現:熊本県上益城郡矢部町周辺)の布田保之助(ふたやすのすけ)が白糸台地に水を引くため30メートルの深さの谷に石橋を架け、その石橋の中を多量の水を通す管を入れた、日本最大の石の水路橋『通潤橋』を完成するまでの経緯や苦労話が4ページに亘って紹介されていた。
 
 布田保之助は72歳で亡くなるまでの生涯で、220キロの道路を造成し、アーチ式の石橋13基を架け、布田神社が創建され、彼の遺徳は永遠に語り継がれることとなった。

 保之助の故郷の貧しい人々を救いたい、台地を豊かにな土地にしたいとの思いが、30メートルの深さの谷に石橋を架ける原動力となり、肥後種山の石工たちを動かし、通水管に特殊な漆喰詰めをすることの新たな工法を見出し、適材適所の人員配置により危険な場所での工事であるにも拘らず、一人の犠牲者も出すことなく完成を見たのです。また、莫大な工費の調達も様々な知恵を絞った跡が見えるとのこと。

 私も保之助のような気持ちを持ち、市民の皆さんが安心して暮らせるまちづくりを行なっていきたいと思います。

 11月8日の日記、車窓から見た住宅の瓦葺については、何故なのか判らないまま車窓から風景を眺めると記載しましたが、有明海の海水による塩害等の防止策の一つではないかと思われます。

高齢者生きがい創造センター 2004.11.10[Wed]
 2箇所目の視察地は大牟田市の高齢者生きがい創造センターである。

 大牟田市は福岡県の最南端で三池炭鉱が有名であるが、石炭から石油へのエネルギー転換により、三池炭鉱も平成9年3月30日で閉山となった。人口も減少し現在は13万9千人と山形市の約半分である。

 また、大牟田市は平成13年度から3年連続の赤字決算となり非常に厳しい状況の中にあり、15年度から財政再建緊急3ケ年計画を策定し、実施しているとのこと。
 
 当然、公共施設及び外郭団体の見直しが提案されており高齢者生きがい創造センターやこの事業を受託管理している財団法人大牟田市雇用開発センターが見直し対象になっているとの説明があった。

 高齢者生きがい創造センターは、高齢の求職者が将来的に存在し、生きがいとしての就労の要求もあり、高齢者の持っている技能や豊かな経験を生かしながら、楽しく働く機会を提供するとともに、健康増進及び地域社会との交流を図り、生きがい活動を推進する場として平成4年9月に総事業費2億3千万円(地域福祉推進特別対策事業)を掛け建設された。

 この施設の運営は、昭和57年1月に高年齢者・障害者・母子家庭等の雇用の開発と促進を図り、生活安定・福祉向上に寄与するため大牟田市が設立した財団法人大牟田市雇用開発センターに委託されている。山形市で言えば設立目的は違うものの、財団法人山形市開発公社に匹敵するものである。

 事業の取り組みとしては、@リサイクル事業 Aおもちゃ病院 B世代間交流講座の開講 C高齢者生き生き教室の開講などを実施。

 特にリサイクル事業では、市民の人が(家具・家電製品・自転車・衣類など)の不用品を無償提供。提供された物をリサイクル作業所で高齢者の技術と経験を生かして再生。それを3軒の常設リサイクルショップで格安に販売し大きな収益を上げておりました。

 また、自然環境や資源を大切にとの視点から廃食油を原料とした石けん製造事業・EMボカシ販売事業も展開しているとのことだった。

 各フロアで嬉々としてそれぞれの仕事に励んでいる高齢者の皆様の姿を見てうれしく思う反面、今後より一層こうしたことが求められる社会となることを考えれば、地域の特性を活かした産業や独自事業の開発が急務の課題であり、行政だけでなく経済界及び地元の大学等にも呼びかけながら、知恵を結集し検討が必要であると思った。

 私の目指すものの一つに、中小企業の活性化と活力ある産業で雇用創出を掲げております。しっかりと取り組んでいくことを決意し行政視察の報告といたします。

子ども文化会館 2004.11.9[Tue]
 本日、熊本市にある子ども文化会館を視察訪問した。

 熊本市は、九州のほぼ中央に位置し、古くから火の国と呼ばれた。平成3年2月隣接する飽託4町と合併し、平成8年には中核市として指定を受けている。人口約65万6千人で山形市の2.6倍にあたる。

 熊本市は平成6年9月3日に六項目からなる、熊本市民「子ども憲章」を制定している。そんな中で、子ども文化会館は、子どもたちに集団の中で遊びや学びなどの活動体験の場を提供するとともに子育てに関する相談業務や各種の情報提供を行なう「子ども支援・子育て支援施設」として平成7年3月に地下1階地上5階建て総工費約28億円を掛けて完成した。

 この建物は、市レベルでも全国に先駆けた大規模な子ども支援・子育て支援施設である。環境も博物館、美術館、旧細川邸、二の丸、三の丸広場及び清爽園など熊本城一角の教育・歴史文化ゾーンに位置している。また、建物も親しみやすい外観と子どもの興味や好奇心を呼び起こすような構成で、各階の色分けや各部屋のネーミングも動植物名を使うなど子どもに配慮した施設になっていた。

 地下1階 駐輪場、警備員室 
   1階 金絲猴のフロアー(緑色)・エントランスホール・情報提供コーナー・展示コーナー・事務     室、ピロティーなど
   2階 花と虫のフロアー(青色)・観賞室2室・会議室・相談コーナー・相談室4室など
   3階 小鳥のフロアー(ピンク色)・創作室・プレイルーム・パソコンコーナー・談話コーナーなど
   4階 動物のフロアー(黄色)・多目的ホール・わんぱく広場など

 事業体形は@活動体験支援事業A子育て支援事業Bネットワーク事業で、通常事業と特別事業(子どもたちの長期休業時や土日祝祭日に実施する大規模事業)とから成る。利用状況も年々増加しているとのことで昨年度は29万人以上の利用があった。今後の課題として、これまで利用対象者を小学生低学年までに置いて運営してきたが、完全学校週5日制の実施に伴い、高学年も対象とした機能を見直していきたいとのことだった。土・日及び祝日の利用は多いものの、平日の利用が少ない。行財政改革推進計画に伴う、施設の管理運営の見直しが必要とのことであった。

 この施設を視察して、現代の子どもたちに不足しているのは遊びの「空間・時間・仲間」であると言われているが、市内各地から集まった子どもたちが遊び・学びなど様々な活動に参加し、地域や年齢の違いを超えて互いに交流する中から自主性や創造性、豊かな感性や思いやりの心などを養い、21世紀を担う青少年の健全育成を図り努力している姿が見て取れた。

 子は宝である。将来を託す子どもたちに何を残し、何を引き継いでいくのか。そのために如何すればいいのか。現在の山形市の状況ではハード面の箱物建設は中々難しいと思う。しかし、子を思う気持ちをしっかりと表明し、今ある施設の中でやれるものは実行して行く。これが大切な事だと思う。今後の将来構想も含め当局側と協議検討していきたいと思います。 

車窓 2004.11.8[Mon]
 今日から2泊3日で緑政・公明クラブの会派メンバー4名とで視察研修である。今日は移動日ということで、ゆっくりと空と列車の旅を満喫させていただいた。

 熊本の宿舎に着き、今チェックインの手続き中であるが、インターネットの場所があり急いで書き込みをしている。

 視察研修場所は、熊本市と大牟田市の二箇所を予定している。ここまで来る車窓から見ただけで、山形市との環境と生活習慣の違いがハッキリと分かる。

 また、台風の爪あとも車窓からしっかりと見て分かる。家も、山形市内で多く見られるトタン葺きでなく瓦葺が殆どである。それが何故なのか判らないまま車窓から風景を眺める。それぞれの地域には、歴史的な背景や地域に密着した文化と創意工夫して新しく作り上げた文化があります。

 それが山形市民の皆様にとって馴染むものなのかどうか分かりませんが、それぞれの地域における生活環境及び生活習慣の中に育まれた知恵や共生・創生の何かをしっかりと勉強していきたいと思います。

 後日、視察研修の報告もさせていただきます。

第5回公明党山形県本部大会 2004.11.7[Sun]
 本日、結党40周年の記念すべき第5回公明党山形県本部大会を、多数のご来賓の皆様からご出席をいただき、午前10時30分よりウェルサンピア山形で開催された。

 県内各地から集っていただいた代議員130名の皆さん大変にありがとうございます。
 
 寒河江県本部代表より、これまでの公明党に対しましてのご支援に厚く感謝申し上げると共に結党精神を忘れず庶民の目線で今後も活動していく旨の挨拶の後、井上義久衆議院議員党政務調査会長・渡辺孝男参議院議員党山形県本部顧問より挨拶をいただいた。

 このあと結党40周年を記念し、永年党員として活躍してこられた方々に対して表彰が行なわれた。皆様方の血の滲む戦いと地道な活動があっての公明党であります。本当に感謝の気持ちで一杯です。ありがとうございました。これからもお体に気をつけて応援よろしくお願いします。

 10名のご来賓の皆様のご紹介の後、代表として、山形県知事高橋和雄様、山形市長市川昭男様、自民党山形県支部連合会会長参議院議員阿部正俊様、衆議院議員遠藤利明様、参議院議員岸宏一様からそれぞれ公明党への期待と大衆の目線での政策提言、連立政権としての公明党の重要性、選挙協力における熱烈たる支援の御礼などのお祝いのご挨拶がありました。

 昼食・休憩を挟んで午後から「平成17年活動方針」(案)「平成17年基本政策」(案)承認案件「平成16年活動報告」「平成17年予算」(案)がそれぞれ上程され、質疑の後採決し、総員賛成の挙手により可決しました。

 その後、武田県選挙管理委員長からの報告により、役員選挙立候補者がそれぞれの役職の定数枠内以内の立候補であるため、届出全員の選挙なしでの当選が決定し承認をすることとなり、県代表に引き続き寒河江政好県議会議員が就任することになりました。

 又、公明党山形県本部局長・局次長人事(案)の発表があり総員賛成の挙手により承認されました。私は、前回に引き続き政策局の次長と新しく宣伝局の局長を拝命することになりました。これまで担当していた青年局次長の役は、本当に青年であり新進気鋭の増田昌信さんが担当することになりました。

 宣伝局は、街頭演説会の開催、議会報告・ミニコミ紙の発行の推進、各地で開催される政治学習会資料の広宣物の発行などを行ない公明党をもっと皆さんから知っていただくためどうすればいいのか真剣に取り組んで行かなければならない大切な分野です。政策局の職務と合せしっかりと勉強し頑張っていく決意です。

 最後に大会宣言を全員の拍手で可決いたしました。

 『大会宣言』
 私たちは本日、第5回全国大会をうけ、結党40周年の記念すべき第5回山形県本部大会を開催しました。結党から40年、政権に参加して5年、日本の政治に責任を担う第三党として公明党の果たすべき役割と使命は、いよいよ重いものがあります。
 今大会において、私たちは不変の原点である「大衆とともに語り、大衆とともに戦い、大衆の中に死んでいく」との立党精神を更に深く胸に刻み前進していくことを誓い合いました。「持続可能な社会保障制度の構築」「国際テロの時代における『新しい平和主義』」「地域の再生」について党の政策も確認しました。日本の将来の国の形を決める重要課題が山積するなか、国民・県民の合意形成を推進する与党・公明党の責任は重大であり、「福祉の党」「平和の党」としての公明党の真価発揮が今ほど強く求められている時はありません。
 明年には、首都決戦・東京都議選や大型地方選挙が控えています。私たちは、すべての地方選挙に断じて勝ち抜かなければなりません。本日より、決意新たに人間主義の旗を高く掲げ、全議員、全党員が動きに動き、語りに語って、日本の政治の新しい時代を開く勝利の波動を起こしていこうではありませんか。皆さん、頑張りましょう。 
 右、宣言します。 2004年11月7日 第5回公明党山形県本部大会

 最後に全員で、勝ち鬨を行い散会となった。私が議員となって、初めての県本部大会であり身の引き締まる思いがしました。

 初心忘れるべからず。何事にも誠実に真剣に情熱を持って行政課題に全力で頑張ってまいります。今後とも折原政信よろしくお願いいたします。

環境美化作業 2004.11.6[Sat]
 秋晴れの下、環境美化部の皆さん・校長先生・教頭先生・担当教職員の皆さんと一緒に第十中学校の環境美化作業を行なった。

 今日の作業内容は、十中敷地の南側にチューリップの球根植えとグランド周囲のプランターと廃タイヤに堆肥を施しビオラを植栽することです。

 部活で登校してくる生徒たちの元気な「おはようございます」の声に「おはよう」と返答しながら廃タイヤの固くなった土を掘り起こしビオラを植栽していきました。

 約3時間ほどの作業となったが、来年の春には三色のチューリップと色取り取りのビオラがいっせいに咲き誇ることだろう。家で庭木をいじる機会も無い私にとっては、清清しい一時となった。

走行中の携帯電話 2004.11.5[Fri]
 今月1日から、いよいよ車の走行中に携帯電話を手に持って通話したり、メールの送受信などで画像を注視した場合は5万円以下の罰金を科せられることになった。

 このことは、テレビとか新聞等でも大分前から取り上げられていた。合せて、イヤホンやハンズフリー(手を使わない)機能を持つ機器の紹介CMも頻繁に流れていたようである。

 1日から5日目となったが、行き交う車の中ではあいも替わらず、お話に夢中になっているドライバーを結構見かける。1日は警察も一斉に各道路に飛び出し取り締まりと注意を促してはいたが・・・・・・・・・・

 交通事故は自分が気をつけていても、相手から飛び込んでくるときもある。「画像表示装置」には、携帯電話のほかに、カーナビ・カーテレビ・小型ゲーム機のディスプレー画面も含まれる。但し、今回の改正では、手に持っていた場合という条件付きになっているので、カーナビ等の操作をやることは対象外となり違反にはならない。

 私も、高校3年生で自動車学校に通い運転免許を取りましたが、その時はしっかりと両手でハンドルを握りしめ前方を注視していたことを思い出す。ややもするとカーナビやCD及びラジオ選局のときはどうしてもそれらの方に注意力が削がれ動作が遅れ気味になりがちです。

 安全運転を心がけると共に、車の運転中は一切機器に触らなくてもいいように事前に準備する。携帯電話はドライブモードにしておく。どうしても触ったり電話をしなければならない時は、車を他の人の迷惑にならないところまで持っていって停止して行なうなど気をつけていかなければならないと思います。

 交通事故ともなれば自分ばかりの問題では済みません。マナーを守って安全運転で車社会を謳歌しましょう。しかし最近のガソリンの値上げは非常に厳しいものがありますね! 

イラク復興支援の自衛隊派遣延長について 2004.11.4[Thu]
 イラクでイスラム過激派組織の人質となり、殺害された香田さんが無言の帰国をした。香田証生さんのご冥福を心からお祈りいたします。

 その一方で、防衛庁は12月14日に期限が切れる自衛隊派遣の延長について最終決定はしていないものの、派遣延長を前提に第4次イラク復興支援群の編成命令を出す方針を固めたとのこと。

 そして、その第4次イラク復興支援群は陸上自衛隊第六師団(司令部・山形県東根市)を中心に編成されるとか・・・・・・・・

 政府は、復興支援を行なっているイラク南部のサマワ地区は安全であり、自衛隊の人道復興支援は現地の人々から高い評価と共に感謝されていると言っている。しかし、当初から見ると自衛隊の活動の様子とか地元の人々との触れ合いの様子などについての報道はずっと少なくなっていると思うのは私だけだろうか。

 自衛隊派遣の条件の一つに「活動が非戦闘地域」に限られるとの法律に従い慎重に見極める必要がある。

 当初のイラクでの自衛隊の人道復興活動と派遣について、神埼代表自らがが現地に赴き、いろいろと状況を確認したうえで決定したものである。

 自衛隊宿営地への砲撃事件などが相次いでいる中、サマワ地区における治安は本当に大丈夫なのだろうか。しっかりと状況と情勢を確認・分析し且つ国民にその現状を積極的にPRすべきである。

 そして体裁に拘ることなく、事実を掌握し適切な判断の基にイラク復興支援の自衛隊派遣延長について決定して行かなければならないと思います。

東北初のプロ野球球団とスポーツ振興 2004.11.3[Wed]
 東北の地に初のプロ野球球団『東北楽天ゴールデンイーグルス』が誕生した。そして、最初に仙台を本拠地として新規参入の意思表示をしていたライブドアが落選するという格好になってしまいました。

 どちらにしても東北の地にプロ球団が誕生したことは大変に喜ばしい事だと思います。

 双方の代表者が山形県に挨拶回りをしにきた時、高橋知事は「是非、2軍の本拠地を本県にして欲しい」旨の誘致交渉を行っておりますが、早速本日の朝刊に談話が載っておりました。

 宮城県を拠点とする新球団について、「二軍の本拠地誘致交渉は来春のキャンプに間に合うよう直ぐにでも行いたい。ただ歓迎するだけでなく、球場、交通機関、宿泊施設の改修・整備を早めにやらなければならない」と本県の姿勢を示したとのこと。プロ球団の2軍の本拠地ということからすれば当然の事だと思いますが・・・・・・・・・・・

 反面、霞城公園の中に立つ県体育館及び武道館が平成17年度までに撤去されることになっております。これに対し、各種競技団体や山形市議会議長名で、市内の中心にあり県民のスポーツ振興に大きく寄与した施設であり、これまでの利用状況や利用者数を考慮し、引き続き交通の便が良く利用しやすいところに建物を移築して欲しいとの要望書を提出しております。
 しかし、県は国体の時に天童市へそれらの関連施設は建設済みであるとのことで、新たに構想を考え直す事も無く、この事に積極的な姿勢を示すまでには至っておりません。
 また、山形駅西の開発における文化施設も棚上げのままで、まだまだ先行き不透明な状況であります。

 どうか、これらの事もしっかりと踏まえたうえで、県のスポーツ振興におけるソフトとハード面の整備をしっかりと行なって欲しいものだと思います。

日本人初のNBAプレーヤー 2004.11.2[Tue]
 アメリカプロバスケットボール(NBA)チーム、サンズに今季の開幕メンバーとして、田臥勇太選手が日本人として初めて登録された。バスケットボールを愛し、レギラー選手に拘ってきた私にとって今回の出来事は大変に嬉しいことである。

 田臥選手は身長173cm。ポイントガードとしての採用となるが、体格の良い選手の中を卓越したドリブルとパスセンスを活かしながら、アテネ五輪で活躍した二人のFWを使いこなしてもらいたいと思います。

 何事も初めて達成した人の苦労は、並大抵のものではないと思います。大リーグでの野茂投手、そして打者ではイチロー選手と、ない道を一つずつ切り開いて行くのです。田臥選手も日本での最初のNBA選手に拘っていましたと発言しています。秋田能代高校での三年連続で高校総体・国体・全国高校選抜の三冠となり、日本でプレーすればそのまま超一流スタープレーヤーとしての地位が確保されていたのです。しかし田臥選手は、もっと大きな舞台で自分のプレーをしたいとの思いからNBAプレーヤーの道に挑戦して行ったのです。そして、現実となり小さい頃からの夢を達成した喜びを素直に表わしていました。

 アテネ五輪で、日本の大きな期待と声援の中で大活躍をしてくれた山形県出身のバレーボール高橋みゆき選手。バスケットボール大神雄子選手。この二人もそれぞれの競技の中では体格に恵まれているとはいえません。でも、それをハンディキャップとせず、自分の持ち味としてボールへの集中力や技術、精神面の強さにして大きな選手と対等にプレーしています。そして、それらを支えてくれたのは、目標を持った地道な練習と応援してくれた監督、コーチ、同僚そして家族です。田臥選手も皆への感謝の言葉から始まっていました。

 大リーグが閉幕となったこれからは、NBAが衛星中継で放送されることを期待し、田臥選手に声援を送っていきたい。

 田臥選手、シーズンを通してベンチに入り怪我することなく、自分のプレーに徹し、日本で応援している皆に、勇気と感動を与えて頂きたいと思います。ガンバレ田臥選手!!

視察研修 2004.11.1[Mon]
 本日、河川事業視察研修会に参加しました。この研修会は毎年行われ、須川沿岸改修促進議員連盟と須川改修期成同盟会との合同研修となっています。

 今日の視察箇所は、@米沢市窪田地区水辺の楽校 A長井市フットパス整備事業 B朝日町水辺プラザ の3ケ所でした。

 それぞれの場所で国土交通省の山形河川国道事務所の各出張所長より説明を受けました。@米沢市窪田地区の水辺の楽校は、親水広場ゾーン・川森の自然観察ゾーン・水辺の観察ゾーン・白鳥観察ゾーンからなり近くにある小学校の自然観察の場所として、又地域の心の健康づくりに沢山の人々の支え合いや助け合いの連帯の輪で成り立っていました。A長井市フットパス整備事業は、日本では始めての事業展開であり注目を集めているとのこと。フットパスとはイギリスが有名で、『ハイキングなどで歩くための道(小みち)』のことをいいます。最上川の美しい自然や沿川の観光資源などの魅力的な場所を「フットパス」でつなぐもので、沿川の繁みの中に造られた小みちや丸太橋や木橋を歩いてきました。この事業も国、市町村、地元の市民団体や住民と一体となっての整備事業でした。B朝日町水辺プラザは地域と連携した川づくり事業で、朝日町で盛んなカヌー利用を促進するため水辺の整備を行い地域活性化を目指すもので、現在地元の各団体と意見交換を行っている最中とのこと。この事業も地域の盛り上がりと理解と協力が無ければ成功しない事業です。
 
 須川の河川改修も飯塚の所までは国土交通省で整備完了しました。それ以降は県の事業となっております。台風や大雨がある度に門伝橋に行ったり、インターネットで須川の水位の状況を確認します。今後、地域住民の皆様や各種ボランティア団体との連携を図りながら、安心できる河川・憩いや安らぎのある河川を目指し、できるだけ早く改修が進むよう訴えてまいりたいと思います。

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