おりはら日記


2004年10月の日記


祝 創立100周年記念 山形市立南沼原小学校 2004.10.31[Sun]
 本日、私の母校である南沼原小学校の創立100周年記念式典が挙行された。
 
 私が通っていたころの小学校は、田んぼの真ん中にポツンとたった学校でした。しかし、今は道路が整備され交通量も増え、大型店舗の進出が目覚しく、二つの土地区画整理組合による新興住宅地もできました。当然、児童数も増え今では山形県一のマンモス校となりました。

 私は、4年前に南沼原小学校のPTA会長をさせていただきました。そのころから、児童数が年々増え続けることが予想されており、学校の将来の在り方として抜本的な見直しが必要となっていました。
 
 その後、県における画期的なサンサンプランの実施により、児童数の増加ともあいまって教室の確保が急務となりました。平成15年には体育館の東側にプレハブ教室が建設されました。小学校はそれまで、既に2回の増築が行われ、巷で有名な100メートル廊下が完成しておりました。その廊下を子供たちが重い給食の食管を運ぶのです。早く何とかしなければと思いました。現在は分割方式で間に合わせているようですが。

 私が市議会議員となり、初めての一般質問で子育て支援とゆとりある教育環境の観点から適正な学校規模について質問を行いました。ドーナツ化現象で児童数が少なくなっている学校もあれば、児童数が増え、特別教室を潰して教室にしている学校もある。情操教育の大切な時期、音楽室を使える日は何時。雨が降った時狭い体育館で遊ぶ子供たちは大丈夫。同じ時間帯に何クラスも一緒に行う体育の授業で本当にのびのびと体を鍛える事ができるのでしょうか。教育環境の平等性から見れば南沼原の子供たちは可哀相です。義務教育はその時、一瞬一瞬が大切だと思います。一つの学校が出来るまでには、早くとも2年から3年はかかってしまいます。
 しかし、当局の答えは何とかしなければとの認識は示されたものの財政問題や順番が優先し、早急に対応しますとの回答は得られませんでした。来年も2つのプレハブが増築されます。

 地区振興協議会とPTAでも市川市長に分離校建設の要望・陳情を行いました。その時、私も同席させていただきましたが、やはり市長からは明確な回答は得られませんでした。

 今日の式典は子供たちが主役でした。キラキラ輝く瞳の982名の子供たちが行う呼掛けや合唱を目の辺りにした時、一日も早く分離校実現に向け地区住民の方々やPTAそして同窓会の人たちと協力しながら頑張っていかなければならないと決意を新たにしました。
 
 それまで、『光かがやき、空高く飛べ、はらっぱの子』のスローガンのもと何事にも負けないでのびのびと育って欲しいと願います。

 山形市立南沼原小学校 創立100周年 おめでとう!! 

東北官公庁バスケットボール大会 2004.10.30[Sat]
 今日から明日にかけて、秋田市で東北官公庁バスケットボール大会が開催される。地域の会合と重なり参加できず残念である。
 
 私は12歳から48歳まで中学校から高校、社会人(東京都庁・世田谷区役所・山形市役所)のチームに所属し選手としてバスケットボールをし続けてきました。また、山形六中に勤務の時は、コーチとしてその時の子どもたちと朝練習・夜間練習・休日練習と日々猛特訓の毎日を過ごし、2年間の在職でしたが山形市中体連で第2位と第3位を勝ち取ることができ、素晴らしい思い出を子どもたちと作る事ができました。

 山形市役所チームも高年齢化が進み、これまでは試合には出るものの試合後の飲ミニケーションが主な目的となっておりました。しかし、ここ数年間で体制もぐっと若返り素晴らしい指導者にも恵まれ県下に誇れるチームが出来上がりました。
 今年は、全日本実業団バスケットボール大会にも東北代表として参加する事ができました。今回の東北官公庁バスケットボール大会でも優勝という栄冠を勝ち取る事は間違いないと思います。

 最近、運動不足気味なので、健康維持も含め昔プレーした人達とOB戦をしながら談笑することを楽しみにしていたので残念でたまりません。

創立記念式から 2004.10.29[Fri]
 今日は、山形市立第十中学校の21回目の創立記念式典が挙行された。私の日記に第十中学校の行事がよく記載されるなあと思われた人が多いと思います。私のプロフィールにも記載しておりますが、一番末っ子の二女が十中の三年生でお世話になっており、現在PTA会長を勤めさせていただいております。

 その式典の中で、祝辞を述べる機会がありました。市会議員だから演説はお手の物?とんでもありません。口はカラカラ胸はドキドキ。一応原稿を用意しておりましたので何とか大役を無事努める事が出来ました。

 私は、この中で、感謝と青春について述べさせてもらいました。

 ここで、スピーチした一部を紹介します。

 私が尊敬する桂冠詩人の『人生の座標』から青春について2題紹介させていただきます。

 『青春』を方角でいえば『東』です。太陽がでる方向です。青春は太陽に顔を向けて生きるんです。
 『伸びる季節』であるがゆえに、楽しさも大きいかわりに、苦しみも大きい。青春は悩みの季節です。だからこそ、苦しさから逃げてはいけない。
 苦しみながら、悩みながら、『太陽』を求め『太陽』に向かって進むのです。

 もう一題が

 夢と現実を結ぶ橋は『努力』です。努力する人は希望がわいてくる。希望とは、努力から生まれるのです。夢を大きく持って、走れるところまで走るのです。それが青春です。

 皆さんは21世紀に羽ばたく未来の使者です。自分の可能性を信じ、自信を持って何事にも挑戦していってください。アテネオリンピックで金メダルを取った人の多くは、小さい時からの夢に向かって努力し続けた人です。一つの事を達成することは簡単なことではありませんが、大きな夢と努力と情熱を忘れず頑張れば必ず出来る事を私たちに教えてくれたのではないでしょうか。

 絶対に、君には君にしかできない、この世の使命がある。あなたには、あなたしか咲かせられない人生がある。何を疑っても、このことだけは疑ってならない。・・・・・・・・・・・

 これからの21世紀の舵取りを託される子どもたちに、私、おりはらは議員として何を実践し何を残し引き継いでいくのか。常に模索し誇れる山形市づくりに全力をあげなければと決意させられる一日でした。

新潟県中越地震 2004.10.28[Thu]
 この度の新潟県中越地震の被災地及び関係者の皆様には心からお見舞い申し上げます。
 
 27日午後に行方不明になっていた、親子三人のうち2歳の男の子が92時間ぶりに救出されたとの報道が流れ、一瞬に日本中が沸きかえった。重くのしかかった岩盤や土砂の暗い中で4日間以上食べ物もない中じっと耐え忍んだ優太ちゃんの生命力に賞賛の拍手を送りたい。ただ残念なことにおかあさんと長女の真優ちゃんについては死亡が確認されたとの事。ご冥福をお祈り申し上げます。優太ちゃんは比較的元気な様子との事であるが、今後心のケアを含めしっかりと見守っていかなければならないと思う。

 国も県も市も町も一体となって救出活動及び復旧活動に全力を挙げているところであるが、まだまだ不十分である。小泉首相のパフォーマンスはいらない。色々な事情があるにせよ、一時天気不良のため現地視察を見送る旨の報道が流れたとき、ホンとにがっかりした。一刻でも早く現地に駆けつけ早く被災者が安心して生活できる居住空間の確保とライフラインの復旧。生活道路の確保と食生活・医療等における温かい心とお腹の中から温められる食べ物と医師及び薬品等の確保が急務なのではないか。

 災害は突然にやってくる。事前に準備をしておく事は出来ない。そういった中で、少しでも早く市民に安心と安らぎを与えることが行政と政治の役割と考える。山形市も今年になって洪水避難地図(洪水ハザードマップ)と避難場所地図をセットにして全戸配布し、各地区毎に説明会を行っている。私も南沼原公民館で行われた説明会に参加した。当局に聞いたところ南沼原地区は参加者は多いほうだとのこと。もっともっと自分の身は自分で守るとの意識を広めていかなければならないと思った。
 また、災害で大きな力となるのがボランティアの皆様方だと良く言われる。自主防災組織の立ち上げと共にボランティアの育成啓発に努めていかなければならない。

 まだ余震の続く中での復旧作業である。山形市からも消防及び水道の職員が現地に赴いている。今後も要請により他の業種の職員派遣も考えているとのこと。二次災害等の起こらない事を祈りつつ一日も早い被災地の復旧を心より願う日々である。

夜回り先生 2004.10.27[Wed]
 久しぶりに感動的なドラマを見ました。過日、その原作者である水谷修先生から山形にお出でいただいて講演会が開催されました。私は残念ながら出席できませんでしたが凄い盛況ぶりだったとのこと。テレビを見て本当に講演が聞かれなくて悔やまれました。

 子供がどうすればあそこまで心を開いて話してくれるのだろうか。又、これまでの自分を卑下する心をどうしようもないままにシンナーや薬物に頼ってしまい自暴自棄になる子供たちに対して、『昨日までのことはいいんだよ。これからの事を考えよう』と優しく問いかける先生。ちょっとした出会いなのに、これからは僕が担任だよと呼びかける。家族も又そういった子供たちが家に押しかけてきても、いやな顔一つせず家族のようにその子の悩みを自分の物としながら真剣にその子と向き合う様を見て、本当に素晴らしい先生だなと思いました。

 水谷先生の著書が2冊ほど発刊されているとのことで必ず読んでみたいと思います。読んだらまたここで感想を述べさせて頂きます。

 話は変わりますが、山形にも素晴らしい先生とお会いする事が出来ました。山形市立第十中学校PTA講演会でご講演いただいた佐竹真次先生です。ユーモアとこれまでの臨床的体験を通して解り易く、子どもをイキイキと育てる親の関わり方についてお話をしていただきました。その場だけの感動でなく子どもと接する時に十分に活かしていきたいと思います。

合唱コンクール 2004.10.26[Tue]
 本日私は、県民会館で開催された山形市立第十中学校の校内合唱コンクールを聞いてきました。1学年から3学年まで、各学年毎に表彰される最優秀賞1つと優秀賞2つを目指して、少しの合間を見つけてはクラス毎に練習してきた楽曲を発表するのです。時間の都合で2学年の途中から聞く事となりましたが各クラスとも大変素晴らしい歌声だったと思います。この中で今度は一人で多くの観客を前にして歌ってみたいと思った子が何人いたでしょうか。将来のスター誕生を期待したいと思います。

 審査委員の先生が講評の中で、作詞・作曲した人がどういう情景でどんな事をその曲で著したかったのかよく言葉を噛締めながら歌う事の大切さを訴えておられました。
 
 言葉の持つ意味、そしてその言葉を伝えることの難しさ。言葉と表現の仕方によってもそれぞれ受け止め方も違ってきます。適切な言葉によって互いの信頼感を育んでいったり不安を解消していくこともあれば反対に自分ではそんなに悪い言葉でないと思っても相手の心を傷つけたり反感を買ったりすることにもあります。改めて言葉の持つ役割の大切さを認識しました。

 指揮者と伴奏者に併せ30数人が心を一つにしたハーモニーで心洗われる気持ちで県民会館を跡にしました。素晴らしい合唱ありがとう!!

ホームページ開設 2004.10.25[Mon]
 平成15年4月の地方統一選挙で初当選させていただいて、早くも1年6ケ月が過ぎようとしています。この間、皆様方からの温かいご支援とご指導に対しまして心から感謝申し上げます。

 私は、おりはら政信通信(NO.1〜NO.6)を通して議員活動等の報告をしてまいりましたが、もっとスピーディーに情報伝達の方法はないものかと考えておりました。

 私のモットーは地域の皆様と市政のパイプ役に徹する事です。より多くの皆様方の声をお聞きし市政に反映すると共に情報の共有化を諮りながら大好きなやまがたをもっともっと誇れる山形に!していきたいと思っております。

 そして、その一つの手段としてホームページの開設ということになりました。皆様から幅広くご意見・要望等をお伺いし、私自身の心情・理念・政策をなどについて、『おりはら日記』『ふれあいQ&A』でお応えしてまいりたいと考えております。

 『おりはら日記』については、原則毎日更新を心がけていきたいと思いますが、都合により出来ない場合はご容赦いただきたいと思います。又、『ふれあいQ&A』も皆様の質問に対して回答するにあたり、資料等の調査が必要の時もあり2日から3日位の余裕をいただければと思っています。

 なお、当ホームページでの発言・記載は折原政信に帰属し、公明党の公式見解でないことを改めて申し添えさせていただきます。

 皆様との活発な情報発信の場として、おりはら政信Webをどんどんご活用いただきますよう宜しくお願いいたします。

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